サザンオールスターズ登場

音楽

1978年6月「勝手にシンドバット」でデビュー。当時は6人組でしたが現在は5人組。

たしかFMで曲は聞いていて「夜のヒットスタジオ」で初めて観たと思います。もぅビックリでしたね。全員ランニングシャツに短パンでしたからね。「何こいつら」みたいな感じでした。

桑田佳祐の声と歌い方は年配の方たちには理解不能だったと思います。

衝撃?のデビュー当時でしたが、1979年のサードシングル「いとしのエリー」でお茶の間の評価は一変。デビュー曲とのギャップが甚だし過ぎる。一発屋で終わらずに済んだどころではなく後の日本のポップミュージックをリードすることになります。

1980年に発表されたアルバム「タイニイ・バブルス」に収録されている「私はピアノ」はキーボードの原由子(桑田の奥さん)歌ってますが、評判が良く原由子は1981年にソロデビューしています。

デビューからずっと売れてた印象が強いサザンですが「いとしのエリー」以降シングルヒットには恵まれていませんでした。1982年に発表した14枚目のシングル「チャコの海岸物語」の久々のヒットで息を吹き返した感じです。

1980年台に入るとシンセサイザーによるデジタルミュージックが主流となり当然サザンも取り入れることになります。1985年に発表された20枚目のシングル「ミス・ブランニュー・デイ」はイントロからムチャクチャかっこいい曲に仕上がっています。桑田のボーカルも抜群です。当時カラオケでよく歌ってましたね。

1986年サザンオールスターズは一時活動休止となります。メンバーはそれぞれソロ活動となり桑田は「KUWATA BAND」として1年間活動。発表されたシングル「BAN BAN BAN」「MERRY X’MAS IN SUMMER」「スキップ・ビート」「ONE DAY」はいずれも名曲だと勝手に思ってます。ただアルバムはチャレンジャーだなという印象です。

1987年は桑田はソロで活動し、デビュー10周年の1988年に発表した「みんなのうた」でサザンオールスターズとして活動再開します。

1990年に桑田が監督をした映画「稲村ジェーン」が公開されますが評判はよろしくないものでした。しかしアルバムは売れましたね。ミリオンです。「真夏の果実」はこのアルバムからのシングルカットです。また、「希望の轍」もこのアルバムで、今でも旅番組などで耳にしますね。ピアノのメロが印象的な名曲です。

この人の才能は枯れることがないのか、という印象ですね。正に才能の塊です。

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