昭和世代に懐かしいポプコン

音楽

今はインターネットの発達により誰でもSNS上で音楽配信できる時代になりましたが、インターネットもSNSもない昭和の時代、アマチュアシンガーソングライターのために開催されていた音楽コンテストがありました。

それが「ヤマハポピュラーソングコンテスト」通称ポプコン

スポーツの大会と同じように、地方予選、県予選、地区本選を勝ち抜いて、やっと全国大会出場となるコンテストで、アマチュア・シンガーソングライターのプロへの登竜門となるコンテストでした。

ポプコンが始まる前、1967年から1971年まで「ライトミュージックコンテスト」が開催されていました。

ロック部門、フォーク部門、バンド部門などの部門別に全国から予選を勝ち抜いてきたアマチュアミュージシャンが出場するコンテストでした。

そして1972年から「ヤマハポピュラーソングコンテスト」が開催されるわけですが、1969年から1971年の3回は「作曲コンクール」という名称で、1972年から「ポピュラーソングコンテスト」に改名されています。

当初はアマチュアではなくプロが参加するコンテストだったようで、1972年の第4回には既にデビューしていた井上陽水さんが参加していました。

出身ミュージシャン

ライトミュージックコンテスト

ポプコン以前に開催されていたのが「ライトミュージックコンテスト」には、吉田拓郎さん、オフコース(当時ジ・オフ・コース)、チューリップが出場しています。

オフコースは 「ジ・オフ・コース」というグループ名 で1970年デビュー。

吉田拓郎さんとチューリップは1972年にデビューしています。

ポピュラーソングコンテスト 1970年代

ポプコン出場をきっかけにデビューしたミュージシャンは?というと

1973年「あなた」でグランプリを獲得した小坂明子さん。NSPも入賞しこの年にデビューしています。

1974年「恋のささやき」でグランプリを獲得した小坂恭子さんは、1975年にリリースした「思い出まくら」がヒット。

1974年には八神純子さんが入賞していますがデビューはまだ先。

1975年、中島みゆきさんの登場です。

1975年5月の第9回大会で「傷ついた翼」で入賞し、同年9月に「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。

1975年10月の第10回大会にも出場し「時代」でグランプリを獲得。

10回大会では因幡晃さんが「わかってください」で優秀曲賞をとってますね。結構重たい曲でしたがヒットしました。

1976年の第12回大会には長渕剛さんと安全地帯が出場していますが入賞は逃しています。

1977年第14回大会のグランプリは、「あんたのバラード」の世良公則&ツイスト

それまでには無かった強烈なインパクトの曲でしたね。血管切れそうな歌い方でした。

1978年の第16回大会には長渕剛さんが再出場し「巡恋歌」で入賞。既に「雨の嵐山」でデビューしていたのですが本意ではなかったようで、「巡恋歌」で再デビューの形となってます。またこの大会には佐野元春さんが「Do what you like(勝手にしなよ)」で出場していて優秀曲賞を取ってます。デビューはまだ先。

1979年第17回大会で、チャゲ&飛鳥が「ひとり咲き」で入賞。グランプリではなかったんですね。

1979年第18回大会 でグランプリを獲得したのが「大都会」のクリスタルキング。まったくタイプの違うボーカル二人のグループで、当時としてはハイトーンの歌声がインパクト大でしたね。

ポピュラーソングコンテスト 1980年代

1980年第19回大会に杉山清貴さんが「きゅうていぱんちょす」というグループで出場し入賞していますがデビューはまだ先。

1982年第23回大会のグランプリは「待つわ」の、あみん。テレビのベストテン番組にも出演することも多く大変だったようで、のちに岡村孝子さんがソロで活動することになります。

1980年代に入るとテレビの影響か、見た目のインパクトが重視されていたような気がしますね。アラジンとかTOM☆CATとか、いわゆる一発屋さんです。

そして1986年(昭和61年)の第32回大会を最後にポプコンは終了。代わって1987年からバンドエクスプロージョンが開催されましたが1991年で終了。

最後に

プロデビューのきっかけとして昭和の時代にポプコンは必要だったのでしょう。

アイドルの登竜門だったテレビ番組「スター誕生」と同じように、時代の流れとともに、その役目が終わりを迎えたということかもしれません。

そして、ポプコン後に平成のバンドブームがやってきます。

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