スローモーションと少女A

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アイドルの時代と言われた1980年代

松田聖子と並び活躍していたのが中森明菜です。

デビュー

松田聖子がデビューしたのは山口百恵が引退した1980年。

その2年後、1982年に中森明菜がデビューしています。

スローモーションと少女A

1982年5月「スローモーション」で中森明菜はデビュー。

作詞は来生えつこ、作曲が来生たかお。

中森明菜の透き通った声とピアノ中心のアレンジが印象的な曲です。

どことなく山口百恵を思わせる声で、明るい松田聖子の声と比べると少し影がある感じでした。

セカンドシングルは1982年7月「少女A」

作詞は売野雅勇、作曲が芹澤廣明

「スローモーション」とはほぼ真逆の曲のバンドサウンドでエレキギターが鳴ってます。

あまりにもイメージの違う曲なのでビックリしました。

この曲でブレイクしたため、中森明菜のイメージに「少女A」が付きまといます。

もしかしたら「少女A」がデビュー曲と勘違いしている人もいるのではないでしょうか。

個人的には「スローモーション」やサードシングルの「セカンドラブ」大好きです。

飾りじゃないのよ涙は

1984年12月リリースの「飾りじゃないのよ涙は」作詞・作曲は井上陽水

サビの歌詞が印象的な曲で井上陽水自身セルフカバーしています。

ニューミュージック系のアーティストがアイドルに曲を提供することが珍しくなかった頃だと思います。

日本レコード大賞

最近は微妙な感じもする「日本レコード大賞」ですが、当時は歌手にとって非常に重要な価値のあるものでした。

中森明菜は2度受賞しています

1985年11枚目のシングル「ミ・アモーレ」作詞 康 珍化、作曲 松岡直也

1986年14枚目のシングル「DESIRE-情熱」作詞 阿木 燿子、作曲 鈴木 キサブロー

今聞いても違和感なく、いい曲です。

この頃は中森明菜最強でしたね。

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最後に

1980年代は中森明菜の時代だったといっても過言ではない活躍でした。

自分も好きでよく聞いていました。

コロナの影響もありなかなかライブ等は難しい時代ですが、アーティスト頑張って欲しいです。

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